その街には、キタとミナミとナカがある。
この記事は、岩本栄之助にまつわる個人的感想と思考の展開を
『起承転結(序破急)』という括りで、
個人が 好きなようにまとめたものです。
また、実際に行動をして、歩き。ときには調べ、現存する建物や街の周辺をぶらりしております。
そんな思考と散策の。ぶらり旅です。
隣の芝生は青いというが、自分の芝生もまた青い。
ーわたしと一緒に歩きませんか。ー
スタートです。
《急・結》 キタ。ミナミ、そしてナカ。
その街には、キタとミナミとナカがある。
ナカで暮らす人々の憩いの場として建てられた、大きな図書館と、大きな公会堂は、人を立ち止まらせ、顎を上へ向けて。歩かせる。
世界中にある建築物は、過去の偉人の贅沢品かもしれないが。
それを残そうと試みた 目に見えない人々の結晶に、
後世は足を止めて見上げるのだなあと思った『後世』の一人が、これを記す。
中之島公会堂を建てるのに莫大な寄付をした岩本栄之助と、その末路。
どうも気になった私は、立ち止まってその功績の記された年表を見た。おかしい。違和感に首を傾げた。
そして、現代的価値観で過去の人を否定するのは何だかちがうと思って。承服しかねる結末に、『なんでだす』と足を運んだのは、栄之助の仕事場。証券取引所の、だれでも入れるギャラリーだった。
北浜の大恩人の20年程先輩に、おディーン様こと、五代友厚たんがいる。おディーン様が建てた証券取引所…の、ギャラリー。分かったことは、栄之助が辿った道が『分からなかった』という事だ。
そしてその足は。『なんでだす』という思いに突き動かされたその足は。ナカと言えばの、図書館へと向かった。ぎしぎしと鳴る階段の音がすき。ずいぶんと低い位置に 手すりがあるなあと思っていたら、車椅子用のレールだと毎回気付く。(学習力のたらない子。)ちょっと古い落ち着く図書館へ。
その図書館のパソコンの検索機でカタカタと『岩本栄之助』の名前を打つ。
借りられる本と借りられないものがあって。借りられるものを借りた。
郷土史家の人の、記した本でおもしろかったけれど読みにくかった。あまりに読みにくい本で、返却日ぎりぎりまで読まなかった。流石になと思って、返しに行く道すがらの電車の中でざっと読んだ。そして、図書館に着いてもまだ閉館時間まであったので。ぎりぎりまで読んだ。そのごく短い時間ですっと入ってきた内容こそが。
いまの自分にとっての、身の丈にあった咀嚼出来る範囲内での。岩本栄之助に対する見解だったなと思う。
「士魂商才の人やった。」
そのひとことで。あぁ、そうかとなった。
アバカスを見ていたから理解出来たことだった。
他にも心にスッと入ってきたのは、
「岩本栄之助は、(株主)仲買人の仲間のみならず、後に近松門左衛門の研究をする何とかさん(◯◯さん、名前忘れた)など。沢山の色んな分野の仲間がいて。
なぜだか、人を惹きつける魅力のある人だった」
と。ああ。そうか。だから私は。縁もゆかりも無いけれど。その魅力とやらに惹き寄せられて、ぐるぐる小さなナカの冒険旅をしたのだなと。少しだけ承服しかねていた心がやわらいだ。
「お見合いの席で、どこかで(遊園地だったかどこかで。)お相手と待合わせをしていて。自分のお友達に着いてきてと必死に頼んで。当日行ってみると、お相手が家族連れでやって来て。まずい、お友達に、隠れろと。お友達が帰ろうとしたら、帰らないでえ。着いてきてええ。お願い。物陰に隠れてずっと着いてきてええ。」と。
なんと、ほっこりする話が残っている人をなんだと。
この見解に辿り着くまで時間は要したけれど。現代的価値観で否定したまま終わらなくてよかったと思うし、何より疑問に思ったら少し動けば教えてくれる資料や資料館があるこの土地は。いいえ、置かれたこの環境は。あまりにも凄い環境にいるのだなあと思う。
そして、ここに。無念の死でも、非業の死でもなく。
人には役割がある。 その人物は、否定されようがされまいが、めいいっぱい生きた。やはり、北浜の大ばか者である。
《走書き》
【携帯に残っていた「現代的価値観」により否定したあれやこれや。※思考の展開途中の走書きです。】
孔子もスティーブ・ジョブズも、
ヒトラーも、岩本栄之助も。
なりたくてたった訳じゃない。
それぞれ『なりたかったもの』があったけれど なれなくて、自分のやりたい事とは違うところで見出されて。見出されたは良いけれど、自分はこれとちゃうねんなと。
やりたかった事を、完全に捨てきれずに、拗らせて皆くるしむ。
いくら北浜の大恩人と後世に言われても、生きてる身内泣かしたらアウトだよ。
《ヒトラーと織田信長を視ていて思うこと》
政を生業にする人は、
芸術が分からなくて
興味がないくらいがちょうどいい。
信長は、『興味がなかった』からどうでもよくて祇園祭を壊さなかった。
ヒトラーは、『興味があった』から身内ですら「ヒトラーさん、これは残しておきましょうよ。」というものまで壊しに掛かった。
《序・起》 北浜の大ばか者。
汝、足元の泉をここ掘れわんわんという事で。
お金のかからない趣味、ただで行ける所の代表格として図書館を巡っていたら。
(元々は『永田キング』という本からでした。そこから推しのバスター・キートンの自叙伝を、買うかどうしようかをなやむ前に、軽くみてみたいと思ったのもきっかけです。調べたら、その自叙伝は、日本一大きな所(府立図書館)にしかないという所から。買えば良いんだけれど。買ってまで読みたいのか、内容的に読めるのか分からないので。色々と。くるくる。周り〜の。歩き〜の。)
色々、巡って。巡り巡って。なんとなく。
府立図書館と、マブダチの図書館の。
…隣の、建物に入ったら。(隣かいっ(^_^;))
【展示室】という所があって。
入ったら、違和感を感じた。
後から言語化をすればその違和感は、中之島公会堂の竣工日(建てられ始めた年)と、中之島公会堂を作るのに寄附をした男性の生年月日(生まれて〜お亡くなりになるまでの年)に すごく違和感があって。あれ〜?
ああ。そう言えば。
何か聞いたことがあるかもしれない。
家族に、株はやるなよおと言って自ら命をたった人。
何処かで聞いたことがあるような気がする。
(ビーバップ・ハイヒールかなぁ…)
そう。ふらっと訪れた場所で私が感じた違和感は、中之島公会堂が『出来た年』と、『寄附をした人物のお亡くなりなった年』が違ったからだ。
【公会堂が出来てからお亡くなりになっているのではなく。完成前に、その生を終えている。】
なんか変。ご病気?
中之島公会堂が完成する2年前に、その生涯を39年で終えていた。
なんでだす。
私の疑問はいつも魚の小骨のようだ。
放っておいても大丈夫。
誰かといると、この引っ掛かりを取りこぼしてしまう。
別に取りこぼしても何の支障もないのだけれど。
今こうしてあの時、感じた違和感を言語化してみると、細かいことが気になる性格なのは相棒の杉下右京さんだけではないらしい。
なんでお亡くなりなったのかというと、お父さんの遺産を寄附して社会貢献をしたいと。株の仲買人として、みんなが困っている時に助けて、『北浜の大恩人』と呼ばれて。
渋沢栄一は、90歳まで長生きしているんやけど、その渋沢が70歳で引退をしていて。引退後、渋沢栄一なんとか実業団みたいな。当時の若手の実業家たちを引き連れてアメリカを3ヶ月間、色々と見て回った。70歳で3ヶ月アメリカをぐるぐるする渋沢さんの体力すごいね。
その、若手の実業家の中に『岩本栄之助』という北浜の大ばか者が居た。私は、彼のことを少しだけ現代的価値観から否定しようと思う。
(現代的価値観で、過去の人を否定したり批判したりするのは、ちょっと違うかなあと思うので。その時代の感覚を掴むために、どうも気になるので。なんでだろうと思うので。私は、この展示室(中之島公会堂の展示室)に3回訪れた。そして、OSEギャラリーと関係ないかもしれないけれど『企業家ミュージアム』にも訪れた。【※後述】
だけど、その日に限ってOSEギャラリーが何かの研修とかでいつもより早く閉まって、ズッコケた
(-_-;)
守衛のおじさまに、ごめんよおと言われた。
仕方がないので、五代友厚の後頭部だけ、撮ってきた。)
だから今は、自分の価値観が間違っていると分かっているけれど。それ以外にものさしがないので。なんかそれ違うんじゃないのかなぁと思うことを、現代的価値観で言おうと思う。
北浜の大ばか者は、渋沢たちとアメリカをぐるぐるしている時に、お父さんの訃報を聞いてすぐに日本へ戻った。だから最後までアメリカをぐるぐるしていない。
日本に戻ったバカ息子は、お父さんの跡を継いで株式の仲買人となった。株のことはよく分からないけれど、みんながやっていることの逆のことをやって、儲けた。(先物取引とかいうやつらしいよ。まだ『物』はないけれど、『来年これくらいは儲かるよねえ』というのを見越して、先に取引するんだってさ。え、それお米とかなら天気とか台風とか、争いごとに左右されないのかな?
東京リバティブみたいな、名前の。
リバーシブルとクレアラシルを足して2で割ったみたいな名前の。何かあるらしいよ。
…ちゃんと調べてから言ってもらえますぅ?(;´Д`)
…だってええ、OSEギャラリーに避けられたんだから仕方がないじゃない(;´∀`) もとい。)
みんなが窮地に追い込まれて助けてとなると、株を売ったか買ったかして、みんなを助けた。
そして、お父さんが残した財産を寄附することにした。お母さんは、寄附するのはいいけれど ちゃんとした人を相談役にしいや。それで、(他の)儲けている人が、(自分も寄附しなあかんのかなあと思ってしまうような)顔色曇らすようなことしなや。儲けているからって謙虚でおりなさいよ的なことを言って、しっかり釘を差した。
お母さん、ありがとう。もう相談役は渋沢栄一さんと誰々さんと決めておりますと。
寄附をする話と、寄附されたお金で何をするか。何を作るかが決められた。それが、中之島公会堂だった。
雨の日に。行ったことない図書館に行ってみようと。そして、ぐるぐるとして隣の建物の「なんか見たことある何かやなあ」と思いながら。勝手に入っていいのだろうかと思いながら。展示室 何時〜何時までみたいな看板を見つけて。知らん(よく分からない)建物にぐんぐん行った。(あなた何でそういう所は勇者なの(^_^;))
展示室には、彼がなくなった経緯は書かれてあるけれど、どうも釈然としない。
岩本の死後、2年後。中之島公会堂は完成して、当時4歳の娘さんが中之島公会堂の鍵を市長だか府知事だかに手渡す贈答式のようなものが行われている。【2年後に4歳になった娘】ということは、2歳の娘を置いて何してんねんということになる。(専ら「子」の立場で考えてみたら、片親が居なくても。もしくは両親が居なくても。育つんだけどさ。┐( ˘_˘)┌)
だがどうも承服できかねる。
お金を集めたり 増やしたりすることに長けている株式仲買人ならば、格好をつけんと 一度 寄附金を返してもらって、その分持ちこたえて、(実際、あと1ヶ月半あれば栄之助の読みの通りになったという説もある。)更に『倍にして返す』という考え方はなかったのだろうか。誰も助けられなかったのだろうか。
助けの手を差し伸べてくれる人はいても、その手に気付かぬまま。誰も引き上げられない程に沈んで最後浮かんでこなかったおろかもの。(華麗なる一族の万俵鉄平みたいなことをして、5日間くるしんだらしいよ。)
きっと賢い人の周りには賢い助言をしてくれる人がたくさんいて、『返してもらった分、倍にして返せ(=更に大きな金額を寄附すればいいじゃないか)』という助言をしてくれる人が居たのではないかと思う。何故なら、何の肩書きもない【クレアラシルとリバーシブルがよく分かっていない私ですら、】思いつく案なのだから。
(※OSEギャラリーに避けられたので こういった意味不明な文章は作られていくのである。
ワタシナニモワルクナイ└( ^ω^)」家♪(^∇^)ノ♪(*ノ・ω・)ノ♫
因みにOSEギャラリーとは、クレアラシルとデリバリーを教えてくれる場所らしい。…己で記しておいて、ちょっとなに言ってんのか分かりませんƪ(‾.‾“)┐。.゚+ (。・ω・))
そう言えば。
バカには、『いいバカ』と『わるいバカ』がいる。
ティラ様と堀江さんの本に書いてあった。
岩本栄之助という人の生き方は、
『いいバカ』だったのにさいごは『わるいバカ』となった。
「学問しなはれ」が口癖だったのにも関わらず、彼が今まで読んできた書物の中には、『しなんでもええ方法考えなはれ』という文言は一字もなかったのだろうか。だとしたら、(もしかしたら読んでいたかもしれない)論語なんて何の役にも立たない。
本当の教えは、生きている人間の中にある。
北浜の大ばか者は、意地を張らんと一旦寄附金を返してもらって、持ちこたえて『返してもらった分〚倍にして返す〛(より多くの寄附をする)』という行為をしていたら。
中之島公会堂は、現存するものよりも更に大きくて豪華なものになっていたかもしれない。
ヘレン・ケラーにガガーリン。アインシュタイン。それ以外にも、織田信長とかも来ていたかもしれない。
(いや、時代を逆行していてそら無理やけど(^_^;))
おわり
《破・承》 仮装をして、OSEギャラリーに行ってきました。
岩本栄之助がなんでしんだのか知りたくて、OSEギャラリーに行ってきました。
冷静にかんがえて、それ仮装だなと思いまして。
どんな装いだったのか今回どちらでもいいので。
とりあえずOSEギャラリーに行ってきました。
なにから言えばいいか分からないらくがきみたいな ぐちゃぐちゃな文章です。
(だからタイトル意味不明です。(^O^))
どこ行ったん OSEギャラリー
何しに行ったん 岩本栄之助のしんだ理由わかるかなあ思いまして。
岩本栄之助?…だれ?
中之島公会堂を建てるのに、寄付をした人。
・・・。
…ん?
え?しんだ理由?寿命とちゃうの。
華麗なる一族の万俵鉄平みたいなことしたんやて。
元から、行っても分からないだろうなあと思いながら。
思いながらも行ってきました。
でも、分からないということが、【分かって】戻ってきました。
(一度OSEギャラリーに拒否されたけど。(※閉まってた)いま、頭の中で考えていることを整理しなさいということだったのかなあと思いまして。良いように思うことに致しました。)
そしてそのまま足は、すぐそこの公会堂の展示室に。わたし変人じゃないなあと思いました。展示室に何度も何度も訪れて、変な人と思われたらどうしようと思いましたが、展示室にくる人の中には、何度も訪れる人も多そうです。【建物は、その時代の空気をそのまま次の時代へ残しておいてくれる。】(最近読んだ本でメレルさんが言っていました。)
私が始めてここを訪れたとき。なんだかよく知らない変な勇者モードになって、ずんずんと。入っていいのか分からない【入っていいと書かれてあっても、誰もいない。うす暗い照明のところ、緊張しません?あんたよく入ったなと、我、我に思う。振り返り後記(^_^)/】
なーんか気になって。
なーんかあるのは、メレルさん(一柳さん)でいう所の、一瞬 明治の時代感に触れたからかもしれない。「勉強」とかいうかたくるしいことじゃなくて。きっと私は、勉強のつもりで行ったら何も吸収することなかったと思う。朝ドラ『あさが来た』を観ていなければ、よく分からなかっただろうし。中田のあっちゃんのYouTubeで、栄一を観なければ、アバカス読まなかったし。大河ドラマはちょっとしか見ていなかったけど、周りのドラマ好きの歴史っ子が要点をまとめて教えてくれたし。
展示室で渋沢の写真をみつけて(自分、ここでなにしてんの)と思ったし。渋沢の字ぃ、初めて見たし。豪快な偉業のわりに、字ぃめっちゃきちっとしているし。(そういいながら渋沢の字ぃやなかったら、わらえるけれど。)
要するに。全ての素養がそろって。訪れるべきときに(もっとも吸収率の高い時に)訪れたんやと思う。
明治が昨日今日、数年前のことに一瞬感じられた。
ときどき、平成が昨日であるかのような、あの感覚のように。
そしてやっぱり結果として。分からなかったという感覚は、乃木大将と一緒なのかなあと思った。乃木希典が明治の時代の終わりと共にそういうことをしたのも、当時でも世代間によって賛否が別れたらしい。「城崎にて」の志賀直哉は批判する側やったかな。でも今日残る乃木神社とか訪れてみると。訪れたことないけれど映像で見てみると。乃木さんは本当にけちょんけちょんに批判されるような人なんだろうかと過去の自分の考えが揺らいでしまう。歴史は、どこの視点で慮るかによって見える景色がいつも変わってくる。
乃木さんと同じように岩本栄之助のことも今の私には分からない。
だけど言えるのは、後世が、(次の世代に残そう)と。偉業をお金や時間を掛けてそういうことをしようと思うくらい、白でも黒でもなく、グレーな。魅力のある人なんやろうなあと、分かった。
《破・転》 今更、電子書籍デビューしました。
(※この項目に関しては、【屋根をかける人/門井慶喜】【福沢諭吉/石崎洋司】が関連しております。)
(※この項目に関しては、【屋根をかける人/門井慶喜】
【福沢諭吉/石崎洋司(電子)】が関連しております。)
今年(2023年)遅ればせながら。電子書籍デビューをしまして。(読む方です。)
一時期、色んな方がいろんなことを言うけれど、(自分は、)どうなんだろうと思いまして。『電子書籍、はじめました。』
(‥冷やし中華みたいに言わんといて。(^_^;))
別に今 本を読みたくない時期(いやいや期というよりむしろ、流れに身を任せよう期)が明けまして。
(なんですか、その期は。( ̄▽ ̄;))
近所の図書館が電子書籍の貸出を今年から始めたのもありまして。(知らなかったけれど、全国的にそういう動きがあるそうですよ。使ってみたら、ばり便利。)Kindleとかでも読めるけれど。ログインとか、IDとかやめていただきたい派なので。ずっと己の中のIT革命は起こらずじまいで。革命というより、世間がさわがしいなあの、IT維新はさざ波 程度にありましたが。(なにIT維新って。次から次へと聞いたことないことば、やめていただける?)
何の話、でしたっけ。そう。電子書籍。
100%電子書籍派という訳でもなく。
100%紙の書籍派という訳でもなく。ゆる〜く。どっちも便利やし、どっちも不便やし。不便は不便で楽しめたらなと。
まだまだ(図書館の電子書籍貸出が)始まったばかりやから、ない本多いし。ないなら、ないである本を検索したら、目的の本は微妙やったけどその隣の本が自分の中のヒットやったりもするし。
要するに。電子書籍を読みだしたら紙の本も同時に読み出した、あっちこっち。でっち派です。
(ただ言いたいだけやないか
ヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ `Д´)ノ※寝かけです。
最近思うのですが、寝かけで書いた記事と寝起きで書いた記事がいちばん読まれるのん、なぜなのでしょう。斗司夫ちゃんが、脳のジャグリングを抑える為に、A3のノート3枚分、脳を疲れさすために何か書けみたいなのがあって。あれって人に見せてはいけないルールだし、でも。確かあれって、『脳の排水が目的』うんぬん言うてたし。
え、待って。じゃあ私の脳の排水ものすごく笑われているということかな。うん、まあ別にどっちでもいいや。好きにして。こちらも好きにするから、
…何の話、やねんなっヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ `Д´)ノ)
思い出した。読んだ本、紹介しまあす。
ずっと。『人が買ってよかったもの』とか。『この本、おすすめです』みたいなやつって。(やすともさんじゃあ あるまいし。なんでそないに、人が買ったもの気になんの)と思っていたし。(これっ、※この子、寝かけでわるい心が発動しております。排水です、水に流してあげましょう。)
おすすめの本と言いながら
紹介の仕方下手くそで響かないし。
(コレハ クリリン丿文
(っ・ω・)ノ☆ぐーぱんち ☆Σ(ノ `Д´)ノ)
目ぇ冴えてきたし。(ならば謝れ、)
えーと。うーんと。・・・。(もう寝たら!?)
あ。思い出した。
でも。なんで余所の方が、そんなに求めるのかなあと思ってたら。なんとなーく分かったような気もします。
その本を、読んだことのある人が。
(他の人はどういう感想を持ったのかなあ)と思って。レビューを書いたりするのかなあと。思いました。
だからこれから紹介する本は、読んだことのある方に向けて。私はこう思ったという感想文です。
レッツゴー。ƪ(‾.‾“)┐
まずは、電子書籍で読んだ本です。
【屋根をかける人/門井慶喜】(電子)←関連。
始めに『近江商人ってなんだろ』と思いまして。三方よしは聞いたことありましたけれど。なんか気になって、調べたら『近江商人とは。』みたいな。かた〜い本が出てきまして。それはそれでふーんとなったのですが。咀嚼しきれないと言うか。循環しないと言うか。釈然としない感じで。まあそんなもんかと思っていたら。
同じく検索でヒットして、サブタイトルが(後から分かったというか。へぇーとなったのが、)―青い目をした近江商人―というやつでした。
何となく。表紙で借りて。電子書籍だし、微妙だったら借りてすぐ中を開いて3秒くらいでかえせばいいという軽い気持ちで読んだら。まぁ〜おもしろかった。でも、きっかけは完全にジャケ借りです。
ジャケ\(^o^)/ ※諸事情により表紙は一旦伏せております。わたくしが機械音痴なだけで、アドセンス審査がまだなのとアフィリエイトに登録していないのと。登録したところで、広告の貼り方いまいち分かっていないだろうなあという諸々から。
貼っておりません。あしからず。
表紙を見ておもしろそうと思いました。(だいたい表紙を見ておもしろそうと思うときは、タイトル(=字から伝わる情報・内容)は無視する派です。 振り返って何がどうおもしろそうと思ったのか。
言語化をしてみると、そうだなあ。
お着物の色と、空の色がきれいだったから。
かな?(^^) あと、お着物のしわとか形?
あと、遠近法?遠近法を使っているのに、ちゃんとした遠近法を使えば。本来、後ろの建物はもっと遠い(小さい)はずなのに、そこは嘘ですよ。フィクションですよ。ということで。あと、読んでいる途中や読み終わった後に、なにを描いているのか気付くようにあえて遠近法にがてな、アンリ・ルソーしているのかなぁと。いや、分からないけれど。(^o^) 分からないけど、そう思いました。
本の装丁を描く方へ。門外漢のノイズです♪
門外漢が何に、おもしろそうと思って本に手を取るのか。参考にしてねえ〜(ノ゚0゚)ノ~(・∀・)╰(*´︶`*)╯)
【あらすじ】
時は明治の終わり頃。
アメリカから赴任したウィリアム・メレル・ヴォーリズは、英語教師 兼 宣教師の普及活動を目的に、(何だっけ、宣教活動のことを。『へえ〜そうなんだ』と思ったけれど忘れた。あ、なんとかYMCAとか言うやつです。西城秀樹さんの歌の方のYMCAもこれかなぁ、と思いました。ウーピー・ゴールドバーグの天ラブのIWill follow himも、往年の歌謡曲をシスターがアレンジして歌って、ウーピー・ゴールドバーグのあれになっているんだったら。ヤングマンも布教活動なのかなあとふと思いました。
そしてこうやって、関係ない話がつづく。)
もとい。
日本の滋賀県・近江八幡の地を踏む。(多分、近江八幡。※読んでから歳月が経ってます。)
まあすったもんだあって。
実在する人ですが、何も知らない初見で小説として読んでいて(急に?)とは思いましたが。
登場人物の本人曰く、
『子供の頃から建築家に憧れていたんだ』というところから。とりあえず建築関係 トン、とん㌧します。(はぁ?( ̄σ・ ̄) 紹介する気ある?)
色んなYMCA関連の建物やら特に教会やらを建てていたとき。
『うちの家建ててくれませんか?』
と、出会った人物こそが広岡浅子さんだった。
工エエェェ(⊙.☉)ェェエエ工 急に!?
朝ドラ『あさが来た』のモデル・広岡浅子さんです。朝ドラ終了後。おばあちゃんになった広岡浅子さんを見ているようで、続編を見ている気分になりました。
あれ。待って、待って、待ってええ。
わたし、朝ドラ終了後、大同生命の本社行ったことあるから、この人(今回の主人公・メレルさん)知ってるぅ〜!と、なってそこから読むのが早い早い。そして、読み終わるのがちとさみしいさみしい。
知っている人と、
初めて出会う人が知り合いだった感覚です。
あと。私は知らず知らずにメレルさんの建築を見ていたことにも驚きました。
あささんには、一人娘が居ます。
その旦那さん(朝ドラでは工藤 阿須加さん役・婿)に、実は妹さんがおりまして。
家にいたくないからとよく広岡家に出入りをしていたそうです。
あささんからしてみれば、自分の婿さんの妹です。
その方と、メレルさんは結婚をしています。
ネタバレではなく、史実です。
でも、実際にあったことだと思って読むより
小説としてわたしは楽しみました。
アメリカから来て、留まる。
一柳 米来留さんのお話です。
個人的に。時代が時代なので。
自分より若いアメリカ人の部下が、仕事は続けたいけれど日本人がこわいよおと言って、涙して帰国する部下を止めることなく送り出す、米来留さんとのシーンが何とも言えない迫るものがありました。
続いては紙です。
【チキンラーメンの女房/ (紙)】
割愛してもよかったのですが一応、載せておきます。
何故ならそう。字数を稼ぐためヽ(^o^)丿
朝ドラ以外のことで
なむか書いてあるかなあと思ったけど、
ふう〜んて感じでした。
読みやすいけど忘れやすいです(・∀・)
おもしろかったけど、
おもしろかった事は覚えているけれど
具体的なことは忘れました。
あと、3番目の奥さまが仁子さんだって世間は知っているのに記していない辺りが(実録?)なのかなと思いましたけど、別に おいた したのは百福さんだし。別に(・∀・) 「おいた」は標準語でぇ〜。・・・。いらんことした?ちがう。お痛?うーんと。今で言う炎上?ちがうなあ。・・・。おいた(^o^)(Google翻訳で、日本語を日本語に変換する機能がほしい今日この頃です。)
クジラのように受け入れるとか。
日清の会社の名前の由来とか。
へぇ~と思ったけど忘れました(^o^)
ただ、チキンラーメンが食べたいなと。
飯テロな本でした。
チキンラーメンの開発で、なぜチキンにしたのかという話が印象的で。(子供が鶏きらいだったんだって。きらいになった理由分からなくもない(^_^;))
後に海外進出するとき、進出しやすかったのは、チキンは「宗教上食べられない人がいない」のいうのも、おもしろかった(^o^)
なにより、朝ドラより
ご本人の方がたいへん。
色々ありすぎて、まんぷくです。
【福沢諭吉/石崎洋司(電子)】←関連。
絵は微妙だけど(私の好みではないけれど、)
気になるのでとりあえず読んでみたという意味では、ジャケ借りです。
そういう意味では絵を描いた人の勝ち(*´ω`*)
こちらも。追々。気が向いたら貼っておきます。(・∀・)
半分くらい読みました。
いま、私の中では諭吉は結婚をしました。
後のことは知らない。そして、今後読むかどうかも分かりません。最後まで読まなきゃという罪悪感に苛まれていては、本なんて読めません(~‾▿‾)~
れっつ次々。さくさく。ƪ(‾.‾“)┐
ただ、適塾時代の話が、おもしろかったなあー。
あんな学生(塾生)おったら、
近隣住民そら迷惑(*´∀`)
なんかアンモニアを抽出・作ってみようか なむかで、
馬の爪を集めて。壺に入れて。
それを燻したかなんかで。
煙が出て、異臭騒ぎ♪┌|∵|┘♪
わろた。堀江さんがDA PUMPの
USAのダンスを踊ったお話と同じ位、
コメディをしていて笑った。(*´艸`*)
江戸から明治への転換期。ただでさえ新しいのがこわいなあと思う鎖国型の日本人が多い中で、何やってるのかよく分からないのに、異臭騒ぎを起こされたら。
しかも一回二回ではなく、場所を変えて川の近くを転々と。
そら適塾のやつらとは距離を置こうとかなりますわと、面白がりながら読みました。実際にわたしはそのエリアを歩いたことがありますし(*´∀`)
(ブラタモリごっこです。※末尾の写真たちがまさにそれです。)
適塾とは、医者の緒方洪庵の作った医術を学びたい人向けの塾です。医術以外にも、蘭学か。オランダ語学びたい人とかが集まったとか。
大沢たかおさんの『JIN〜仁〜』にて、
武田鉄矢さんが演られた役が、緒方洪庵です。
『人とちがう道をいくということは、逃げ道をつくるという事では決してないぞ!!』
と。仁先生に言っていた洪庵先生です。
(訂正。正確にはこちら。)
「道を拓くということはな。
自分だけの逃げ道をつくることやない!」
メレルさんも、大同生命も、
適塾も、あささんも。五代さまも。
岩本栄之助も。
知らない間に歩いた場所が、まさかそういう場所だったなんて。
隣の芝生は青いというが、自分とこの芝生もなかなか青い。
《目で見る『ナカ』》
・中之島図書館
夜・ヨルナカノシマ
図書館内は、美しいので撮影OKですが、他の方のご迷惑になるような撮影はご遠慮くださいというのが書かれてあります。美しいので他の方の映え写真を検索してみてね。建築に詳しくなくても眺めちゃう八角形です。ダンテ。孔子。アリストテレス・・・なむか八人の賢者というか。かしこの名前が書かれてあります。
・館内 一階・新聞室付近には、名探偵コナンのワンシーンが大きなパネルになっております。
ここの新聞室には、コナン君と西の高校生探偵・服部 平次が過去の事件を調べに来ております。
そして、そのパネルの後ろは。
昼・ヒルナカノシマ
・中之島図書館に行くまでの道すがら。
・中央公会堂(中之島公会堂)
・加島屋本家/大同生命
朝ドラ『あさが来た』の主人公・広岡浅子さんの嫁ぎ先。
そしてこの跡地に、大同生命のビルがある。
大同生命。
・三井住友銀行
そして大同生命のお隣には、あささんの実家・三井家の、三井住友銀行。
・堂島米市場の跡―世界における先物取引所の先駆け―
なんかあるなあと思って歩いてみました。大同生命の本社からすぐ近くです。『あさが来た』でも、あささんが嫁いですぐ街を散策していて、米市場で働く人と思われる人に「邪魔だどけー」と言われていて活気溢れる感じで描かれていましたが。距離的に、意外とすぐ近くなのであながち間違っていないのかなあと思いました。フィクションはときどき、嘘に見せかけて本当を描きがちです。(^^)
この時はよく分かっていませんでしたが。
江戸時代。藩の収入源はお米で、全国のお米がここに集められていたっぽいです。福沢諭吉のお父ちゃんも、藩の命令でここで藩の財源をやり取りしていたとか。そして、諭吉のお兄ちゃんもパパと同じ仕事をして、(家督を継いで。)すったもんだあって、藩から飛び出してきた諭吉もここへやって来たそうです。漢字は忘れましたが、『ごかいかたまい』と言って財源の管理は下級武士の役割だったそうです。でもそれ、生活にこまった下級武士がもしくすねていても分かんないんじゃないのとか、諭吉の本を眺めていて思いました。
・「企業家ミュージアム」という寄り道(文章)
あと、ここで言っておかなきゃ書き忘れちゃうので言っておきますと。今回このナカの旅をぐるぐるとしている一貫で、「企業家ミュージアム」という場所に行きました。
栄之助の結末について初めて違和感を覚えたのは、ふらふらと。中之島公会堂の展示室に入ったのがそもそもの始まりだったのですが。
そこでOSEギャラリーと、
企業家ミュージアムという場所を知って
行ってみました。
それで、企業家ミュージアムに行って率直に思った感想なのですが。
(日本やばいな)と、思いました。
何がやばいと思ったのかと言えば。
現在(2023年現在)、日本は円安です。(※書くのが遅くてごめんなさいね。)
円が安いから、海外の観光客が多いです。
それで私もその程度の情報なら見聞きしておりました。そして、企業家ミュージアムに行ったとき。外国人観光客の方が、海外に来てまでちゃんと勉強をしている事に(日本はやばいな)と思いました。
正直、今回「岩本栄之助」という今後わたしの人生にさして影響を与えなさそうな人物に出会い沢山の寄り道をしました。故にわたしは、自分の暮らす環境下に、「企業家ミュージアム」というものがあることを知りませんでした。閉館前というのもあってか、日本の方は見かけませんでした。
それでも、イヤホンガイドなのかGoogle翻訳なのか分からないけれど、使えるものはとことん使って吸収しようとしている他国の団体の学生さんに成長のない30年の間に生まれた身としては、やばいと思いました。
そしてOSEギャラリーでも、
そもそも『先物取引』というのは海外の考え方だけど。
世界的に有名なアルファ・ロメオ・メラメラみたいな。
お名前の。先物取引の父みたいな人が居て。
その人が、
「先物取引という名前や概念はなかったと思うけど、世界的にみて日本の堂島が、今日でいうところの『先物取引』の先駆けみたいなところやでぇ」
と言ったらしく。
(※こんなにもっちゃリした言い方かどうかは、
知り合いではないので分かりませんが。)
世界中で経済学というものを学ぶ人は、まず始めにこの事を学ぶし。ハーバードかケンブリッジか分からないけれど有名な大学では、すごくすごく当たり前のことで逆にそれを知らないわたしたちは、やばいと思ってしまいました。
(…あの、熱弁していたからそっとしておいたけれど、アルファ・ロメオ・メラメラってなに。わらい止まらんの、私だけ? ※何かそんな雰囲気のお名前の人です。(;´∀`))
わたしは、今現在の先物取引のしくみとか聞いてもよく分かりませんでしたが。アイ・アム歴史っ子。今は分からなくても歴史という入口から、自分のペースで 今回の栄之助のように、疑問を追いかけていくんだろうなあと。思いました。
勉強は、強いること。
学習は、まねること。
学問は、自分が疑問に思ったことを学ぶこと。
「人類の進化」に足を引っ張っている代表のような、アナログで。
小利口な。典型的な鎖国型の、一般人だけど。
自分が学ぶことで歴史がまた一歩進むなら。
分からないなら分からないなりに、一つ一つを面白がりながら。
わたしが歴史を進めようと思います。
・ライオン橋
証券取引所の、近くにある成長をしたハクナマタタ。
・中央公会堂の裏(なむか、鳥居。)
中央公会堂の裏。橋を渡って、どんな感じかなと思って歩いてみたらこんなものが。昔の神社の名残のような感じです。目の前が道路。後ろが写真のように空地(というか私有地のような。駐車場)です。
・なんか、橋。
太陽の光が、川に反射して。
その反射した光が また橋の裏を反射させて。
きらきらしていました。日の暮れ掛かる時間帯に観えるマジックアワーみたいなやつです。ターナーが描いていそうな景色です。
・船入橋
字を読んで。へぇ~となったけれど、忘れました。多分、お米の搬入に使うのに。出入りをするのに、使ったところかなと思います。まさか作った側も(江戸時代のナカの人々も。)後世こんなふうに「へぇ~」と訪れるへんなのをみて、変わっとりますなあと言う気がします。座右の銘。しいて言うなら「ノリと雰囲気となんとなく」。なんとなくの先にあるものが、なんとなくでした。
(…え、どういうこと(^_^;))
後にこちらのお写真で、文明の利器・Googleレンズさんを使って文字を読み取るというあそびをしました。なむか近松門左衛門の油…なんとかとか言う心中物の作品に出て来るらしいです。夜中の2時から4時までてくてくと。当世でいう所のだいたい2駅分くらい。ゴートゥーヘブンでどこまでも行こうとした二人のお話です。
…それだけ歩けるなら もうちょいがんばれ( ̄▽ ̄;)
まちがえた。油…なんとかではなく、心中天網島でした。
・すいしょうばし
漢字分かりませんでした。
なぜかこの写真(上記 ぴかーん)を見せたら。
「なんて美しい街なんだ。ここはなんて言う場所だい?」
と。わざわざブラジルの方が翻訳器を使って聞いてきてくれました。
ここはね。
東西南北で言えば。
「東」の方に位置する小さな島国。
その、小さな島国にも、「西」というものがありまして。それが 中々 に ややこしい。
そんな「西」には、これまたややこしく。
「キタ」と「ミナミ」と、「ナカ」とが ありまして。それが本当になかなか。ややこしい。
そんな「ナカ」の街にある、橋だよ。
と。お伝えしておきました。(^o^)
そして、この橋の端っこは。こんな感じ。(※洒落を言っているつもりはありません。)むかし川が通っていたっぽい所です。
この橋を登ったらこんな感じです。
・OSEギャラリー
写真の枚数が多くなっちゃったので、後日OSEギャラリーのみの記事を投稿しようかなと検討中です。撮影OKという事で。動画を撮って静止画にして。編集をしました。
・栴檀木橋(せんだんのきばし)
よく分かっておりませんが、
(へぇー)という感じです。(・ω・)v
後日 画像の加工編集をさせて頂きました。書かれてある文章は、Googleレンズで出来るだけ拾いましたが、Googleレンズも完璧ではないので少し手を加えました。それでも間違っていたらごめんなさい。(なにが書かれているのかなあ)と、ちょっと文字をみたいなあという方はこちらをどうぞ。(^^)
栴檀木橋は、江戸時代の初期、
中之島にあった蔵屋敷へ行き来するために架けられたと考えられ、
その昔、橋筋に栴檀の大木があったところからその名が付けられたという。
(『栴檀』という木があるそうです。)
当時市中と中之島を結ぶ橋上からは、生駒連山を背景に大阪城を望み、天満・天神・難波の三大橋を眺めることができた。
明治18年(1885年)、淀川大洪水が発生し、この橋をはじめ、中之島に架かる多くの橋が流された。
栴檀木橋が再び姿を見せたのは大正3年(・約30年後。1914年)のことで、
【こまかい数字は無視しておいてくださいませ。(^-^) 個人的に年号ではなく、西暦で書いてほしい派なだけなので。(^-^;
公会堂があったり、周りに建物が出来てきて(橋がないと不便だなあ)となったそうです。】
以後 昭和10年(1935年)に架けかえられ、【約50年後。】
(お。御堂筋線の梅田駅・開業とタメやん。
ナチス・ドイツが国際連盟から脱退した年。
後のタイガースが出来た年。(…そうだよ。いま興味本位でWikipedia大明神を眺めているよ(^-^) )そしてエンタツ・アチャコが解散をして1年経ったとき! これは私の記憶が正しければのお話です。)
【もとい。】
中之島公園とともに、広く市民に親しまれてきた。
架け替えにあたって、(更にまた50年後。)
高欄に栴檀の模様を配し、橋詰の整備も行って、この由緒ある橋の歴史を顕彰することにした。
昭和六十年(1985年) 九月
・書いてても読まない。それが、人。~なんか京都の碁盤の目ぇに似ているなあ~
この辺りをぶらぶら、ブラタモリごっこをしていて思ったこと。
それは(なんか京都の碁盤の目ぇに似ているなあ)と思いまして。
知り合いの歴史っ子に、
「あの辺り、なんか京都の碁盤の目ぇに(地形が)似てない?」
と、聞いたら
「そらそうやろ。太閤検地の名残やろ、」
「え、そんなん。」
と。
それを疑問に思う方も、思う方ですが。
直ぐに切り返して答える方も、答える方だなあと思いました。そんなことより、本当に太閤検地の影響なのかどうかは、勝手に言っているだけなので分かりませんが。(;´∀`) 責任感がないのではなく、責任感があるからこそ。この土壌では、よくこの言葉を遣うのです。
「…知らんけど。(訳:好き勝手に言っているだけだから、真に受けないでね。)」
・適塾
医師・緒方洪庵が開いた塾です。医術を学びたい人以外にも、語学(オランダ語)を学びたい人も集まったとか。福沢諭吉が通っていました。
大沢たかおさんのドラマ『JIN−仁−』にて。
武田鉄矢さんが演られた役が、緒方洪庵です。
おわり(*´∀`)
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